英語以外なら
その昔、一人でイタリアを旅行していた時に道に迷ってしまった。
確か、ボローニャの街だったか…。
ホテルから近所のスーパーに買い物に行って、さあホテルに帰ろうと歩き始めたものの、「アレ、さっきの道と違う? ここどこ?」状態になってしまった。
Googleマップはまだない2000年…、だんだん日が暮れて辺りが暗くなり始める。
…帰り道が分からない…どうしよう… 知り合いもいない、土地勘もない、全く知らない、暗くなった外国の街で迷子。近くだから地図もホテルに置いてきてしまった。かなり心細かった。
これはもう道を尋ねるしかない! 誰か優しそうな人はいないかな。
辺りを見回すと一人の40代くらいの女性が歩いていたので、私は思い切って拙い英語で話しかけた。(イタリア語はできない)
すると…通じなかったのか「え?」みたいな反応が返ってきた。
どうしよう、私の英語通じない…と焦って何度か繰り返して言ってみたところ、「英語はわからないの。」と言われた(と思う。)
(え~、英語ダメか…どうしよう…)と思っていたら
女性は「イタリア語できる?」と聞いてきた(と思う。)
私は「No」と答えた。
女性「ドイツ語は?」
私「No」
女性「フランス語は?」
私「…No 」
言語は定かではないが次々とヨーロッパの言葉が話せるか聞かれたが、ごめんわからない…。
結局コミュニケーションが取れず、女性は申し訳なさそうに立ち去った。
ホテルへはその後、野生の勘とか第六感を使って無事に帰ることができた。
それよりも…
私はヨーロッパという所は、その辺を歩いている普通に普通の人をつかまえても普通に3か国語くらい話せるものなのかと衝撃を受けた。私、英語も満足に話せない… 中学から大学まで勉強してきたのになー、こっちの人は3か国語なのか。
どうしたらそんな語学習得環境になるんだろう、と結構衝撃だった。
この衝撃は、「私もせめて1か国語だけでも、英語だけでも話せるようになりたい、もう少し英語の勉強をしよう」と思うきっかけになった(いや、女性に英語は通じなかったけど…)。
そうして「英語ができるようになる環境とは英語しかない所に飛び込むことだ、英語の国に住むのが一番の近道だ!」と 今思えば若かったから、としか言いようがない短絡的な考えの元、本当にその何年か後イギリスに移り住んだ。そしてそこで夫と出会い、結婚し、今に至る。
英語習得後はほかのヨーロッパの言葉も勉強しようと心に誓った2000年のうら若き私だったが、こんなに英語に触れる機会がある国際結婚の環境にも関わらず、未だ英語が上達せず20年経ってもまだ英語を勉強中…(恥)
私にとって語学(英語)はセンスのなさの相まって、人よりかなりの努力が必要なのだなあと今更ながら感じている。
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